生命現象における揺らぎと自発性


人間が作り出してきた人工物の多くにとっては、揺らぎは取り除くべき邪魔者でした。例えば現在利用されているデジタルコンピュータは、保持した0か1かの状態が、熱揺らぎなどで勝手に変化することを最大限抑えるために、これら2つの状態を比較的大きな電圧をかけてはっきり区別させており、そのために多くのエネルギーが消費されています。

自発性も、揺らぎと同様にほとんどすべての人工物で最大限抑制されてきた性質の一つです。人工的なシステムでは、外からの入力によって動作を開始し、その動作が完全に制御可能であることが理想とされてきたため、人工物が勝手に動作し得る自発性は不要なものだと長く考えられてきました。人工物の多くでは、揺らぎや自発性をできる限り抑えることが、高精度な機能の実現に直結していたのです。

ところが生命現象の多くは、揺らぎや自発性を無理に消すのではなく、それらを活かすことで、さまざまな機能を実現していることが明らかになってきました。それどころか、例えば私達の脳は、積極的に揺らぎを作り出して維持する仕組みを備えていることが分かってきました。

脳内で揺らぎが安定して維持されるメカニズムは長く不明であり、神経科学における重要な未解決問題問題でしたが、最近の研究で我々は、シナプス結合が作る神経ネットワークの特徴的な構造が、揺らぎや自発的な脳活動を生み出すこと、またその脳自身によってつくられた揺らぎが、神経細胞間の情報伝達効率の調整に重要な役割を果たすことを発見しました。

「自発性」や「確率性」を適切に制御する神経ネットワークの動作は、今後特に、脳型の人工知能の開発に重要になると考えられています。脳が実現する機能の多くは、未来や未知の入力などを推定する何らかの推定問題だと考えることができます。このような問題を解くには、これらか何が起き得るのか、これは何なのかといった様々な事象の可能性、つまり確率を、うまく求めることが必要であり、脳の揺らぎや自発性が、その謎を解く鍵だと考えられるのです。

 

寺前 順之介

京都大学 情報学研究科 先端数理科学専攻 非線形物理学講座